学校長からのメッセージMessage

令和2年度 報恩講挨拶

今、皆様とともに報恩講のお勤めをしています。本年度は新型コロナウイルス感染防止のため、放送にてお勤めをしています。現状を良く理解して心を豊かにしてください。
報恩講とは浄土真宗の宗祖である親鸞聖人の御命日の法要です。親鸞聖人は私たち衆生、生きとし生けるものを救わずにはいられないと思われた仏様・阿弥陀仏のご慈悲を知り、その教えを脈々と伝えられ、私たち一人ひとりに生きるよりどころをお示しくださいました。
人にはそれぞれ様々な悩みや苦しみがあります。どんな立派な人でも、どんなに人徳がある人でも、どんなにお金持ちであっても、それぞれ皆、悩みや苦悩を持っています。報恩とは、これらの悩みや苦悩を救おうと、阿弥陀仏の念仏をすすめられた宗祖親鸞聖人の恩に報いることをさしています。
報恩の「恩」という文字には、「他から与えられた恵み」という意味があります。確かに、私たちの生活や周りを見たとき、私たちを陰で支えてくれている人、物がそれほど多いかに気づくことがあると思います。例えば保護者はじめとする家族、先生方、また、ご縁を賜っている様々な人々、さらに、自然や社会を構成している全てのものがあります。中には目で見えるものもあれば、見えないものもあります。また、肌で感じるものもあれば、感じることができないものもあります。しかし、日々の雑多な生活の中で、なかなかその「ありがたさ」を深く心の中に捉えることができないでいるのが実情です。
私たちが「ありがとう」と言うのはどんな時でしょうか。自分の欲しいものが手に入った時、自分の願いごとがかなったときなど、自分が何か得をした場合だけではないでしょうか。 自分の損得をものさしにして「ありがたい」か、「ありがたくない」かを判断しています。
ところが、このものさしほど当てにならないものはありません。状況によってコロコロと変わるからです。欲しくてたまらなくて買った物でも、時間がたってみれば部屋の片隅にゴミのようにほったらかしにされているということがよくあります。買ってくれた人に「ありがとう」と言ったことなどは、とっくに忘れてしまっているのです。
自分に命が与えられたことを「ありがたい」と感じたことのある人は、どれほどいるのでしょうか。多くの人は、自分が生きていることを当たり前のように思っているのではないでしょうか。親鸞聖人は全てのものには平等に尊い命が与えられていることを示され、 傷つけ合うことがどんなに悲しいことであるかを教えてくださっています。
親鸞聖人は、私たちが欲しがっている物を与えてくださるわけではありません。私たちが損得のものさしを超えた世界に生きることを願っておられるのです。
私たちは自分たちの自らの意志で、両親を選ぶことも、自分の都合の良い時代や社会を選ぶこともできません。つまり、私たちの生命は授けられたものであり、私たちの命は私たちだけの命でなく、皆の命でもあるのです。ゆえに、自分の命を大切にするとともに、周りの方々の命を大切にしなければなりません。また、自分があって周りがあるのではなく、周りの支えがあってこそ自分がある。だからこそ、私たちは周りの方々に感謝する責務があります。
人世を人として歩む中で大切なことは、どの様な時代や社会に生きることになろうと、目の前の「今」できる小さなことに向かって一歩一歩着実に取り組む努力をして、与えられた環境の中で精いっぱい努力し、「生まれてきてよかった」「生きてきてよかった」と思える人生を送ることであると思います。
ご縁があって大谷学園に集う私たち全てが、本日の報恩講でのお勤めを通して、親鸞聖人に出会い、自分の人生に「ありがとう」と言える生き方をしているかどうか、改めて自分に問うべきではないでしょうか。
本校は親鸞聖人からご縁を頂いた報恩感謝を教育理念とする学校です。「朝に礼拝、夕に感謝」の校訓を礎にして、常に「今」を無駄にしないで」「今」を大切にして、健康で楽しい学校生活を送ってください。
それでは、只今から本日の法話を賜ります。講師の先生は、大谷中学校、高等学校宗教科主任の佐藤智行先生です。姿勢を正してしっかり聞いてください。
それでは、先生、よろしくお願いいたします。

(令和2(2020)年11月27日)